メーカー紹介

イヴァニシ・ガラス工場について
ロシア連邦の首都モスクワから東北に約200㎞に位置する古都ウラジーミル。歴史的建造物が出迎える中心街から、車で3時間ほど離れた深い森林に覆われたイヴァニシ地区に製造元のイヴァニシ・ガラス工場は所在します。この地で19世紀からガラス製品を製造し、365日24時間、窯炉の火を絶やすことなく稼働しつつ続けています。 工場の設立は1845年、ロシア最古のガラス工場の1つです。19世紀半ば、工場の所在地域には22ものガラス工場が存在していました。ロシア帝国の貴族フェリックス・ユスーポフ公(※ロマノフ王朝に仕え怪僧ラスプーチンを殺害したことで有名なロシア貴族)とアレクサンドル・ロメイコフ大尉の工場がクリスタル製造おいて最も優れた技術を持っていました。工場の創業者はアレクサンドル・ロメイコフ大尉、その後、工場は商人パンフィロフ兄弟によって買収されました。 ガラス製品を生産する場所としてこの地が選ばれたのは、粘土、きれいな砂、松林(当時は窯の火の燃料として使用されていた)など、生産に必要な条件が揃っていたため、地元の原料を利用し低コストで収益の高い生産を実現しました。8つの窯炉を持つ巨大な窯でクリスタル・ガラスを製造し、多種多様な食器類の製造も可能にしました。 工場ではパンフィロフ一族の指揮の下で水差し、グラス、ソーサー、トレイ、デカンタ、ワイングラス、コンポート皿、テーブルセット、ランプシェード、グラスランプ、インク入れ、さまざまな花瓶などの製品を考案し、工場の製品はロシアの主要都市、ニジニ・ノヴゴロド、モスクワ、サンクトペテルブルグなどで販売されました。 その後、ロシア革命が始まり、革命の間は工場の生産活動は一時停止されましたが、1925年に生産が再開されました。ロシア革命後のソビエト政権下でパンフィロフ一族の財産は没収され、一族はサンクトペテルブルグ(当時、ペトログラード)、ウラジオストク、ウラジミールなどのいくつかの場所に離散しました。1941年大祖国戦争(第二次世界大戦 対独戦)が始まると、木造だった工場の建物は消失し、戦火は工場の所在地域にまで迫りました。モスクワ攻防戦では、モスクワ州全域からウラジーミル州のイヴァニシ地区周辺を含む地域でドイツ軍とのゲリラ戦の準備をするために、森の中に塹壕が掘られ、戦闘員が集められました。戦後、戦争を生き抜いた地元の人々の努力によって工場は復興を遂げ、その後も製品を生産し続けました。1950年代半ば(ソビエト時代)、工場では19世紀にパンフィロフ時代(帝政ロシア時代)に考案された製品と、複雑で重厚感あるガラス工芸品(※製品紹介にあるインカルモ技法で製造される製品)を国内向けに再び出荷を始めました。1950年代半ばにおいて、世界的に多くの労力を必要とする複雑で重厚感のあるガラス製品は製造されなくなり、よりシンプルなフォルムと軽いデザインを好む流行が到来していました。その流行に沿って作られた製品はモスクワの芸術家を魅了しただけでなく、地元の人々も訓練を受け、新たな才能が生まれ、芸術大学を卒業したアーティスト達が工場の労働力となりました。
ソビエト連邦崩壊後、90年代に入ると、新体制で操業を始め、今日まで工場では美しい高級ガラスから量産のガラス製品を手がけてきました。工場ではロシア国内および、ヨーロッパのデザイナーによって、ユニークなデザインの製品を日々生み出しています。ロシア国内の展示会はもとより、ヨーロッパなど海外の展示会で新製品を発表し、製品はヨーロッパやアメリカ、そして日本へ輸出されています。
